どうでもよくないことを

結構久しぶりにブログを書きます。
半ば、目の前に山積した課題からの逃避として。
Escape from Tasks (課題からの逃走)。



(1)On _The Things They Carried_
今月の主ゼミでTim O'Brien _The Things They Carried_ (1990)を読んでいる。

The Things They Carried

The Things They Carried

日本語訳は村上春樹
本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

学部3年生位のときに、江國香織のエッセイを読んでいたら「『本当の戦争の話をしよう』を読んで、しばらく小説が書けなくなった」みたいなことが書いてあって、ほうほうなんか凄そう、と思い初めて読んだのだった。
泣かない子供 (角川文庫)

泣かない子供 (角川文庫)

ベトナム戦争を、作者と同名のティム・オブライエンという人物の一人称視点から描く。本書の特徴の一つは、戦争を扱う小説だといっても、開戦の経緯やその位置づけ(価値判断)、特定の作戦行動や軍の司令体系といったマクロな視点はほとんど描かれないこと。代わりに、本書は「ベトナム戦争を語る」ということがどういうことなのか、またどのようになされうるのか/えないのかというテーマを、メタファーの力を活かしつつ、登場人物たちの「身体的感覚」の描写を通じて探求している。例えばセクションの一つ"Style"は、米軍に家族ごと焼かれてしまった集落で踊るベトナムの少女の姿を描く、2ページだけのごく短い短編なのだけれど、ベトナムの把握し難さと寂寥感を雄弁に伝える。
初めて読んだ20歳くらいの当時は、ポストモダンだの構造主義だの脱構築だのといった現代思想用語なんて全然知らずに読んだのだけれど、なんか良く分からないすごいことが目の前で起きていると感じ、ゾクゾクしながら読み進めたのを覚えている。アメリカ小説って面白いんだな、すごいな、と教えてくれたのはこの小説だった。


それから7〜8年の時間が経ち、昔よりはいくばくか他の小説を読み、多少なりとも批評理論をかじったりしてからもう一度この小説を読み返すと、やはり印象は随分違う。
もちろん、原著で読んでいるからというのもあると思う。特に、本書の村上春樹訳はかなり彼オリジナルの小説のように訳されている部分があるから。(たとえば"well"(175)を「やれやれ」(300)と訳すのは彼ならではでしょう 笑。とはいえ、個人的には全体として名訳だと感じている。)
小説の構造や成り立ち、そしてそれらを成立させている思想や社会状況といった事柄が一部にせよ自分なりに言語化できるようになってみると、昔ハラハラした部分が実は無味乾燥な記述であることや、同時にその無味乾燥さに意味があることが見えたりと、対象から距離を取り、相対的に多くを理解し説明できるようになる。例えば、最初のセクション"The Things They Carried"において仔細に記述される兵士たちの荷物について、昔読んだときはドキュメンタリー的な、緻密な、あるいは「リアリスティックな」描写として意味があるのだと思っていたのだが、今読むと、その執拗なまでの記述が記号の羅列になってしまっており、差異の戯れとして並べられている点が小説の主題や構造とパラレルであると理解できる。
だがしかし、20歳のころ感じたこの小説に対する自分の敬意は今でも少しも薄らぐことはなく、むしろ改めてその迫真性に胸を打たれる。


文庫版の訳者あとがきの中で、村上は「この本における戦争とは、あるいはこれはいささか極端な言い方かもしれないけど、ひとつの比喩的な装置である」(392)とし、オブライエンが究極的に描こうとしているのはベトナム戦争自体ではなく、誰もが自分の中に抱えている自分なりの戦争なのではないか、との解釈を記している。同じ作家同士で理解し合える部分もあるのかもしれないし、この解釈が的を射ている部分もあるかもしれない。
しかし、個人的にはやや異なった意見をもっている。つまり、オブライエンの卓抜は、やはりベトナム戦争とその表象(不)可能性について真摯に考え抜いた点にこそあるのだと思うのだ。「語る私」について語るこの小説は、確かに物語行為一般という概念と親和的かもしれないが、それはあくまでも、ベトナムという、自らの実存と切り離せないモチーフとの格闘の結果としてこの形をとっている。社会リアリズムでは表象できない対象を、意味の決定不能性を、それでもどうにか表象できないかという葛藤からこの小説の語りの形式が生まれているように思うのだ。敷衍するならば、自分にとってどうでも良くない特定の対象をどこまでも考え抜き、それがこういう形をとってしか表せなかったと感じさせるというその代替不能性、単独性のようなものが今でも自分の目頭を熱くさせるのだと思う。

ただのファンの読書感想文ですね。
でも本当にオススメしたい小説なので、普段本をあまり読まない方にも、ぜひ読んでいただきたいです。



(2) On Realism and Literary Labor
そろそろ今年も出願の時期がやってきた。
この間某奨学金の面接でフルボッコにされた部分を見直して研究計画書を改善しようという意図から、リアリズム小説について少し再考してみようと考えた。
リアリズムについての論考はたくさんあるけれど、世紀転換期に集中的に執筆されたアメリカの社会リアリズムについての考察としては、自分の乏しい知識の限りでは、これがやはり優れた研究書の一つなのではないかと思われる。

The Social Construction of American Realism (Studies in Law and Economics (Paperback))

The Social Construction of American Realism (Studies in Law and Economics (Paperback))

現在はPennsylvania Uにいる、Amy Kaplan女史の第一作。博論がそのまま本になったというゴールデンコース。
大まかな枠としては、1)アメリカにおける既存のリアリズム評、つまり「政治性のない文学、たとえばモラル・リアリティを描くロマンス小説やモダニズムのような小説こそがアメリカ的であり、他方、社会リアリティを書こうとするリアリズム文学はヨーロッパ文学の劣化コピーにすぎない、というか階級なきアメリカ社会ではそもそも不可能ッス」、といったような文学批評の価値基準は、冷戦状況に対応して作り出された政治的尺度である。2)社会リアリズム小説を、単なる固定化した社会状況を受動的に映し出す文学だとして格下げするのは生産的ではない。3)1880〜90年代に生み出されたアメリカのリアリズム文学は、同時代の爆発的な産業化の進展の中で、無力感や非現実観に苛まれるようになった人々が、現実をどうにかして制御し、組み立て直し、無力感を和らげようとするユートピア的衝動を内包している、といったところ。
具体的な構成としては、William Dean Howells、Edith Wharton、Theodore Dreiserの三人の作家について二章ずつを割く、計六章構成。各作家について、先行する章では各々がもっていた「リアリズム観」そして「作家という職業観」を、各人の生きた特定の社会状況に位置づけて描写し、それらの価値観変容の様を個々人の問題としてだけでなく、生産様式のパラダイム・シフトの現れとして読ませる。そして、この議論を参照枠として、続く章では、各作家の代表作についての具体的テクスト読解を行う。

自分が読んだのはイントロと、ドライサーを扱う5・6章だけなのだけれど、特に5章は実に読ませる、魅力的な論考だと思う。
ヘミングウェイが最も有名な例だけれど、アメリカの作家にはジャーナリストの経験を経てから作家になる人が少なくない。ドライサーもその一人だ。しかし、一口にジャーナリストといっても、それは賃金を得なければならない労働者であり、当然時代ごとに異なった社会的ステータスを持つ。ジャーナリストあがりの作家たちにとって、彼らがその「見習い期間」から何を学ぶかは、各人の生きた社会状況によって異なるのだ。


以下、5章を自分なりに要約。
ハウエルズやウォートンらの先立つ世代においては、ジャーナリズムは、執筆プロセス全体をコントロールできる職人的仕事だとみなされていた。だがしかし、産業化が進展し、分業が著しく進んだドライサーの時代には、ジャーナリズムはすでに非熟練労働になっていた。NYでドライサーがやっとの思いで就けた仕事は、「脚夫legman」とでもいうべきものであり、彼の仕事は歩き回って事実を収集することであり、その事実を記事に仕立て上げるのは別の人間だった。また、彼が得る賃金は、彼が生み出したものに対してではなく、彼がかけた時間に対する対価だった。すなわち、セレブへ至りうる花形職業としての記者は、ドライサーの時代にはプロレタリア化した非熟練労働職に変容していたのだった。


そしてだからこそ、ドライサーと彼の先達の間には、「書くこと」の認識に関して大きな断絶があった。

Where both Howells and Wharton valued writing as productive work, as opposed to the idleness of the aristocracy and the consumption of the masses, Dreiser made an effort throughout his career to distinguish writing from labor. What he valued in newspaper work was the leisure it afforded him to frequent hotel lobbies and gossip with important people; or the status of the feature writer, at the top of the reporters’ pyramid, that gave him the opportunity to write “the idle stuff” he associated with “creative writing.” This need to dissociate writing from work stemmed both from his own class background and the changing conditions in the production of writing. Tramping the streets in search of news was not that different for Dreiser from collecting installment payments (116).
[拙訳]
ハウエルズとウォートンは、特権階級の怠惰さや大衆の消費に対置する形で、「書くこと」を生産的な労働だとして高く評価した。他方で、ドライサーはそのキャリアを通じて、「書くこと」をなんとか肉体労働から区別しようとした。彼が新聞記者の仕事に関して評価したのは、それが彼に浮いた時間を与えてくれることだった。彼はその時間を使ってホテルのロビーに足繁く通い、著名人たちと世間話をした。あるいは彼が評価したのは、記者のピラミッドの頂点たる、特集記事の書き手の地位だった。この地位は、「無為なこと」について書く機会を与えてくれ、彼はそれを「創造的な著述」と結びつけて理解した。「書くこと」を労働から切り離さなければならないというこの必要性は、彼自身の階級的出自に、そして、「書き物」の生産条件の変化に端を発していた。ドライサーにとって、ニュースを求めて町を歩き回ることと、ローンの取り立てをして歩き回ることにはさほど違いはなかった。


ドライサーの第一作『シスター・キャリー』(1900、僕がM2の修論で扱った小説)は商業的に失敗し、当時としてはスキャンダラスだという理由で発禁処分になった。その後、ドライサーは数年間ノイローゼ状態になる。しかしその商業的失敗の原因は、彼がジャーナリスト時代に学んだはずのマーケティングという教訓を、自身の作家としてのキャリアに適用させなかったことに原因があった。すなわち、『シスター・キャリー』を出版社の意に反して無理にでも売らせた結果、彼は宣伝をうまく打つことに失敗していたのだ。
1907年に別の出版社から同小説の再版が行われた時には、ドライサーはすでに学んでいた。彼は原稿自体にはほとんど手を加えなかったが、代わりに、出版社と緊密に提携し、派手に宣伝を打ち出した。広告の中には長大なパンフレットがあり、その中には初版へのレビューと、その「圧殺」の物語が含まれていた。著述業に関するドライサーの考え方の中心に自己宣伝があったと考えたとしても、だからといってリアリストとしての彼の地位が損なわれるわけではないし、あるいは、現実について真実を語るという彼の主張が市場に検閲されてしまったということにもならない。もしもリアリズムが、ドライサーが論じるように「諸慣習に抵抗する」ものであるとするならば、この図式自体が、ドライサーが自己を売り込むために採用した市場の慣習のうちにすでに巻き込まれていたのだ。
カプランは、そうドライサーの物語を編んでいる。


自分の研究は作家研究ではないし、「作者の死」以降テクストを作者に還元することはひとまずできないことになっているわけだけれど、作者を一つの参照点とすることで、同時代の言説空間や社会状況を具体的かつイメージ豊かに描出できるのはいいなと思う。同じことをやろうと思ったら相当の作業をしなければいけないのだけれど、容易には覆らないような、骨太で実直な研究成果なのではないかと感じ、なんか自分もがんばろうと思わされた。
なんか結論がズレている気がするけど。



(3) Let's play the guitar with DADGAD tuning!
去年くらいからずっと興味を持ちつつも、ゼロから始めるのが大変そうなんで敬遠していたDADGAD(ダドガッド)チューニングに、最近また魅力を感じています。
アイルランド民謡なんかでよく使うチューニングらしいんですが、普通のチューニングは六弦から一弦に向けてEADGBEでチューニングするところを、DADGADに並べます。開放弦でジャラーンと鳴らしただけでD sus4のコードになり、三度が抜けたなんとも神妙な響きになります。
コードの押さえ方もずいぶん変わるし、全く違う楽器をはじめたつもりでやらないとダメだろうと思うのですが、少しずつでも練習していこうかと思っています。

例えばこんな響きになります。
・Todd Baker, Every Walking Thought


・Irish

チュートリアル



最近、研究面でいい刺激をもらうことが多いと感じます。
クサリそうなとき、つまんないことにイライラ・クヨクヨしたりするときには、自分よりもっとがんばっている人の背中を見ればいいのだと思いました。
だから、自分もがんばって、また他の誰かにとってそうなれるように、とも。
はい、課題から逃走してる場合じゃない 笑。