師走と私

早いもので、2011年も師走です。
推薦状ご執筆のお願いにより、師走の文字通りに、ただでさえご多忙の先生たちにweb上を走っていただいてしまっております。ああ電脳の21世紀。

11月がやたら暖かかったものだから、国立の大学通りでは銀杏並木にまだ黄色い葉がフサフサと茂っています。しかし、それにもかかわらず大学通りは12月のイルミーションモードへと突入し、葉がまだ茂っている銀杏の木に電飾の衣装が無理やり上からかぶせられている様は、さながら元気のありあまった小学生が中学の制服を着せられているようでもあり、はたまたカイオウが自らの全身から噴き出す魔闘気を黒い鎧で封じ込めているかのようでもありました。ああ北斗の拳




1)Modern Art, American
相当遅まきながら、「モダン・アート、アメリカン展」@国立新美術館に行ってきた。
もう来週で終わりっていうギリギリ感。
http://american2011.jp/index.html

美術史専門の友人には「わりと地味で、さらっと見終わっちゃう展示会だよ」と言われていたし、そんなもんかなあと思って見に行ったのだけれど、門外漢の自分にとってはとても刺激的だったし、面白かった。美術館とか慣れないので足腰すごく疲れたけど。

1921年に一般公開を開始したフィリップス・コレクションから110点を展示。時代的には19世紀中葉から世紀転換期を経て戦後までの時期を、絵のテーマとしては田園から都市を経て抽象表現主義へと至るまでの歴史を辿る。


予備知識としては、去年授業で抽象表現主義アートに関する本を一冊読んだことがあるくらいだったのだけれど、とても素敵な本だと思うのでまずはご紹介。

How New York Stole the Idea of Modern Art

How New York Stole the Idea of Modern Art

『ニューヨークはいかにしてモダン・アートという概念を盗んだのか:抽象表現主義、自由、そして冷戦』というイカしたタイトルが、本書の内容を的確に表している。
第二次大戦まで、ヨーロッパの知識人・美術関係者の間には、近代芸術といえばまずは西ヨーロッパのことだし、芸術の中心といえばパリのルーブルでしょ、的な考えがゆるやかな共通認識としてあった。同時に、アメリカなんて田舎だし、アメリカのアートは田舎者がヨーロッパの模倣をしているにすぎないだろう、というような認識が評者の間の多数派の意見だった。

が、大戦後、パクス・アメリカーナの時代がやってくると、政治・経済的な覇権だけでなく、文化的な覇権までもがパリからMoMAニューヨーク近代美術館)に移ってくる。そして、そのときに「新しい」時代のアメリカ芸術・文化を象徴する旗手として人気を博したのが、抽象表現主義(Abstract Expressionism)だった。
著者ギルボーは、抽象表現主義という潮流が他でもないこの時期に、「新しい時代」、「新しいアメリカ」の象徴として世界的に受け入れられたというその理由を、同時代の歴史的文脈に位置付けて考察している。そこには単に「いい絵だからウけました」という以上の政治性が機能していたはずだ、と。

This book is a social study of abstract expressionism which attempts to grasp the reasons American avant-garde art took the abstract form that it did as well as the reasons that form proved so successful. The answers to these questions are complex, yet I believe that they stand out clearly once the works and the writings of the painters involved are set against the historical and economic background. Restoring the context of the movement in this way will, I trust, expose the emptiness of the traditional claim that postwar abstract expressionist art achieved dominance solely because of its formal superiority (2).
[拙訳]
本書は、抽象表現主義を社会との結び付きから考えようとする研究書です。アメリカの前衛アートがああした形で抽象的な形式をとった理由を、そして、その形式があれほどの成功を収めた理由を理解しようと試みます。これらの問いに対する答えは複雑ですが、しかし私は、関係のある画家たちの諸作品や著作を歴史的・経済的背景に位置付ければ、答えはたちどころに明らかになると信じています。抽象表現主義という運動が存していた文脈をこのように修復すれば、従来の主張――つまり、大戦後の抽象表現主義芸術が支配的になったのは、単にその形式が優れていたからだという主張――の中身のなさが明らかになると、私は信じます。


その「答え」は本書を読んでのお楽しみだけれども、キーワードは、30年代を通じて、特に39年以降にニューヨーク左翼系知識人が脱政治化していくプロセスと、戦時中のナショナリズムの高まり、そして中産階級を中心に「右でも左でもない」というレトリックが戦後に帯びていく重要性、といった感じになると思う。

著者本人も認めている通り、美術史研究の文脈の中では、(少なくとも本書が出た1983年の段階では)こういう歴史主義的な研究はあまり人気がなかったのかもしれないけれど、自分はとても素晴らしい業績だと思う。美術史だけでなく、文学史の研究者が本書をしばしば引用するのも納得できる。文学史の方でも、同時代にはよく似た批評枠が実際に形成されていったのだし。文学やアートが、意図しようとせざると、いかなる形で同時代のイデオロギーと共犯関係を結んでしまうのかを活写してくれている。



実際に展示を見て回って思ったのは、アメリカの画家(あるいは批評する側)にとって、ヨーロッパをにらみつつそれとの関わりで「自国をどう定義づけられるか」、という問いが19世紀から戦後に至るまでずっと大きなテーマの一つだったんだろうな、ということだった(もちろん、そのときに国内の奴隷制ネイティブアメリカンの追放みたいな黒歴史や、世紀転換期の帝国主義的拡大の暴力性は全然出てこないわけだけど)。自国を象徴させるモチーフが、田園から都市へ、そして抽象へと変遷していく様に、その苦心ぶりを感じる。もちろん、展示ではすでに特定のストーリーに沿って作品が取捨選択され、順に並べられているから、自分はまんまとその通り見てほしいものを見たというだけなのかもしれないけれども。


自分の研究に近いところでいうと、30年代、WPA(雇用促進局)の下にFAP(連邦美術計画)が作られて、不況下の美術の振興に注力したという文脈を確認できたのがよかった。ちなみに、文学の方ではFWP(連邦作家計画)というのができていて、食えなくなった作家たちを雇ってアメリカ各地のフォークロア収集や、地誌編纂事業の仕事を割り当てたりしている。また、同時代には、他にもFSA(農業安定局)が、写真家を雇って農村の人たちの暮らしぶりを膨大な量の写真記録に収めたりもする。
実際に今回の展示の中で、30年代ごろのセクションでは記憶の復元や地域主義の芽生えというテーマが出てきていたのだけれど、アートの中でこういう潮流が起きてきたことは、上述のような政策が地域主義的な細部の発見に注力したことと無関係ではないだろう。せっかく今回の展示のカタログを買ったので、FAPについて書かれたイントロ部分を良く読んでみよう。


ちなみに、好きになってポストカードを買っちゃったのは、世紀転換期〜20年代くらいにかけての、都市を描いた作品群だった。特に、Louis Michel Eilshemiusという人の "New York Roof Tops"(1908)という絵を見て、『シスター・キャリー』(1900)が描く世紀転換期のニューヨークやシカゴってこんな風に感じられたのかなって、なんかしんみりした。

http://www.phillipscollection.org/research/american_art/artwork/Eilshemius-NewYork_Roof_Tops.htm




(2) Everytime We Say Goodbye
去年の一橋祭や、今年9月のライブで一緒にバンドをやったボーカルの子が、今月末から仕事のために東京を離れてしまうそうだ。
自分と同い年で、同じ2002年に大学に入学した同期なこともあり、なんとなくさびしさもひとしおだ。昨年司法試験に受かって弁護士になった彼女は、その社会的生産性も経済的安定性も、ニート予備軍の自分とは比較にならないわけだけれど(笑)、専門の法律知識の範囲を越えて好奇心が旺盛で、社会への問題意識が高い姿勢がいつも素敵だと思っている。
こういう本があることも、この間教えてもらったところだ。

精神分裂病者の責任能力―精神科医と法曹との対話

精神分裂病者の責任能力―精神科医と法曹との対話

周囲にいる、ロースクールあがりの受験戦士的弁護士の中では、そもそも本書のタイトルみたいなトピックに関心をもつことすら極めて稀なのだそうだ。でも、ボーカルの子は「裁判に関わる人間ならむしろ知らなきゃいけないくらいの大切なことだと思う」と力説し、その話しぶりに励まされる思いがする。

新天地でも、いい仕事をやってほしいと思う。

というわけで、彼女はジャズ研だったなと考えつつジャズ・バラードをば。


全然関係ないけどおまけ:
昔heyheyheyにX Japanが出演した時の動画です。友だちのブログに挙がってて、おもしろかったのでこっちにも。
Yoshikiおもろいなあ。

よい12月をば!