Where the River Meets the Sky

「別れと出会いの季節」というと、日本に住む方々はみな「春」のことを思い浮かべるだろうと思う。
それはまあその通りで、3月に卒業式、4月に入学式・入社式を行うのが一般的になっているからだ。

しかし、少し文脈を広げれば、「別れと出会いの季節」は「夏」を意味する場合もある。
そう、外国の大学には9月から開始のところもあるので、留学に旅立つ友人とは、7月〜8月にお別れをしなければならなかったりする場合があるのだ。


大学院の友人が二人、この秋からアメリカに留学に行くことになった。


そのうちの一人K氏の歓送会が24日夜に催された。彼も僕と同様、留学先でPh.Dを取ることを目標にしているので、スムーズにいってもおそらく5年間かかる。小平の寮で一緒に飲んだりできる機会は、おそらく最後だろう。
彼は院生寮の同じフロアの住人で、住んでいる部屋が僕の隣だった。僕と同じく脱サラ組で、農業経済学を専攻し、年に数カ月はアフリカにフィールドワークに行っていた。お酒が好きで、補食室でフロアのみんなとよく飲んだものだった。大阪人らしく、話し上手で、笑いを取るのがうまく、アフリカみやげにはブブゼラを買ってきてしっかりみんなを笑わせた。一緒に自転車でラーメン二郎やうどんやトンカツを食べに出かけたこともある。朝から夜遅くまで研究室にこもって勉強していて、帰宅後にカラスの行水としかいいようのない速さでシャワーを浴びて出てくる様がなぜか好きだった。勉強が本職の院生の中でも、かなりストイックに研究に専念していたと思う。でも、あんまり彼が不平や不満を周囲に漏らすのを聞いたことはなく、補食室でみんなで話すときにはいつもニコニコしていて、周りに気を適度に使いつつ、しかし自分の芯はきっちり一本通すような、そんな接し方をする人だった。社会観や人生観についていつも意見や考え方が一致したわけではないけど、考え方が違ってもそれを考え方の違い以上の問題に広げたりはせず、それをもって人を好いたり嫌ったりしない、度量のある人だった。
昨晩の歓送会では明け方5時過ぎまで寮の仲間たちで飲んでいた。歓送会がお開きになったあと、日もだいぶ昇った早朝の澄んだ空気の中、彼は大きなバックパックを背負って、金色の日差しの中に旅立っていった。最後はやっぱりいつもの明るい笑顔だった。



アメリカ留学に行くもう一人の友人は大学院のゼミが一緒のY氏。
先週、彼と履修がかぶっている主ゼミとサブゼミの両方で、一緒に夏学期最後の発表を担当したところだ。
彼は僕からするとなんとも不思議な人だった。ボーッとしているかのように見えてポイントを鋭く抑えていて、マイペースなようでいてすごく人に気を使ってくれて、損得とかあんまり考えない人なのかと思わせて上手に手を抜こうとしていたり。
僕みたいなええかっこしいで見栄っ張りな人間とは違って、肩の力が抜けたゆるい感じが魅力的で、そのゆるさが、僕にはない彼の柔軟な知的パフォーマンスにつながっているのだろう、としばしば思った。
彼が修士二年になったばかりの4月、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論の解題と考察を担当してくれたのだけれど、そこで彼が見せたのは、アイデンティティ概念を巡る現代政治批評のアポリアの一つを的確に図式化・指摘した、卓抜した洞察だったと思う。
また、明らかに僕にはできない類の小説の読み方ができる人だとも思うのだが、それは小説世界に降り立って、特定の人物の視点と自分の視点を重ねないと気づかない点を指摘するような、妖艶な読みだった。例えばナボコフの『ロリータ』(1955)の読解では、エンディングの一騒動を取り上げ代名詞の戯れを丁寧に読み解き、ハッとさせるような小説解釈を提示していた。
そんな感性の鋭い彼でありながら、特に一緒に博士に進学してからは、日々の雑感を始め、お互いふだん考えていることをとりとめもなく話し合い、さらに僕のつまんないモノマネでもよく笑ってくれる、大切な友人だった。



外国に旅立つ二人を見送るにあたり、ふと想起したのは、昔中学だったか高校の教科書で読んだ李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という詩だ。
すごく好きだったので、読み方はそらで覚えてしまった。

故人西辞黄鶴楼     
煙花三月下揚洲     
孤帆遠影碧空尽     
唯見長江天際流

〈読み〉     
故人(コジン) 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花(エンカ)三月 揚洲(ヨウシュウ)に下る
孤帆(コハン)の遠影 碧空(ヘキクウ)に尽き
唯だ見る 長江の天際(テンサイ)に流るるを

〈大意〉
昔なじみの友人が 西の方にある黄鶴楼というところをやめて
花の香りがけぶる三月に 揚州というところに下っていきます
一隻しかない船の遠い影が 青空のなかへ消えてゆき
私はただ、長江が空の果てへと流れているのを見るのです

「唯見」の主体は(書いてないけど)「私」、すなわち李白だろう。
最終行、「私」は長江が天際に流れていく様をどんな気持ちで見ているのだろうか。
視界から途切れるほどはるか彼方に行ってしまった友人にもう会えないという寂寥感だろうか。

実は、僕はあんまりそうは思っていない。
「唯見」の主体が李白であり、タイトルでも「送る」側が李白であるように、この詩は、李白が孟浩然のためにではなく、むしろ自分自身のために描いた詩なのだろう。
「長江」が「天際」に「流」れていく。川と空の果てが交わるこの壮大すぎるイメージは、見送る「こちら側」と旅立っていった「あちら側」を永遠に隔てる境界なのではなくて、むしろ両者を包み込む全体性の立ち現れなのではないか。


今までのように同じ教室で学んだり、生活空間を共有したりすることはもうできないのかもしれない。
だけど、研究を志す者同士、僕たちがそれぞれほんのわずかでも知を生みだすことができたら、見えなくても僕らはつながっていることになるかもしれない。
そんな、あまりに中二病的な解釈を、僕自身に送る。