ペンタトニック、ジャズ、人種意識

前からぼんやりと考えていることについて。

中学3年生のころから趣味でギターを弾いている。
いろんなギタリストがよく使うスケールに、「ペンタトニック」というものがある。
「五音音階」ともよばれるスケールで、例えばCメジャースケール「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」の場合なら、4度と7度の音(ファとシ)を抜くことで、Cメジャーペンタトニック「ド、レ、ミ、ソ、ラ」ができる。
ちなみにこれを平行調といってラから上り始めると、Aマイナーペンタトニック「ラ、ド、レ、ミ、ソ」ができる。
ブルースなんかはペンタトニック一発で弾くことも多く、ギターの教則本でもまずはじめはこれを覚えましょうという説明がしばしばされていると思う。


自分は長らくこのペンタトニックがあまり好きにならなかった。
響きが泥臭いし、一歩間違うと演歌みたいな印象になってしまう。まあ自分の使い方がへたくそなのは間違いないのだが。
ところが、ここ4年くらいジャズギターに興味を持って少しずつCDを聞いたり理論のお勉強をしたりしていると、ジャズギタリストの大御所はペンタトニックを活かすのがとても上手なことがわかった。
例えばスタンダードナンバーだとWes Montgomeryが弾くThe Days of Wine and Rosesとか、Russell Maloneが弾くFly Me to the Moonとか、ソロの出だしからペンタなのになんとも繊細で叙情的な響きがする。
耳コピを試みて、ペンタだと気づいたときは軽く衝撃だった。
ペンタってこんなに綺麗に響くものだったのか、と。
しかも、今のところ自分にはあまりに難しく思えるジャズも、極めればペンタだけで弾けてしまうらしい。
基本的なことの中に大切なことがいっぱいつまってるんだよなあ、とかそんな気になった。


さて、ここでそんな魅惑のペンタトニックをめぐる最近の疑問について考えてみる。
ジャズギタリストのうち、ペンタトニックを頻繁に使う人たち、Wes Montgomery, Kenny Burrell, George BensonGrant Green, Russell Maloneなどはみな黒人だ。
それに対して、ペンタをあまり使わず、和声重視のアプローチといわれるギタリスト、例えばBurney Kessel, Jim Hall, Joe Pass,その他コンテンポラリーの人たち全般(John Scofield, Pat Metheny, Kurt Rosenwinkel, Jesse Van Ruller, Adam Rogersなど)はみな白人。
「自分を自由に表現するのが音楽」という(個人的にはあまり信憑性がないと思われる)テーゼが今日支配的だとすると、このテーゼと上記の音楽演奏上の志向性の明らかな偏りは、矛盾するのではないのか?――とりわけ、人種について本質主義でなく構築主義的スタンスをとるならば。
つまり、「出したい音を自由に出すのが音楽だ」と考えるのなら、なんで黒人ばっかりペンタを使って白人はペンタを使わないのだろう?
黒人には黒人の、白人には白人の「生物学的・科学的」本質がある、という(犯罪的な)考え方をとらない限り、黒人は「自然に」ペンタトニックを選び、白人は「自然に」コードトーン重視のアプローチを選ぶ、とかいえないはずだ。
代わりに、「人種」という概念自体が私たちのことばのラベリング機能によって作り出されているという立場をとるなら、やっぱりペンタトニックを使うことの社会的文脈を考慮しなくてはならないのではないか。
アメリカの社会的文脈の中では、「ペンタトニック=黒人音楽、したがって白人は弾いちゃダメ、あるいは弾くと黒人になる」みたいな図式が存在していたのだろうか?
あるミュージシャンがどういう音使いでどんな音楽を演奏するかという問題と、19〜20世紀にかけての人種意識の変遷との関係についてどなたか詳しい方がいらっしゃったら、オススメの本とか教えてください。
よろしくお願いします。