8月中旬

8月13日〜21日、群馬県は伊勢崎市の実家に帰省する。
中学や高校時代の友だちと久しぶりに集まって、飲んだり旅行に行ったりする。


14日
高校時代の友だち4人で集まって飲む。
2年ぶりに会うのだけどみんな変わらず、気を使わずに話せるのが嬉しかった。
自分以外は3人とも理系なのだが、自分が普段接する人はみな文系なので、久しぶりに話をしているとなんとなく興味の中心が異なったところにあるような気がして面白かった。
みんないいやつで、来年も再来年も、10年後もまた集まって飲めたらいいなと思う。


15日
ジョック・ヤング『排除型社会』のレポートを翌4時までかかって仕上げる。

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

  • 作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
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バランスのいい研究、という印象を受ける。
本書は60年代後半、または70年代前半を境に生産様式におけるフォーディズムからポストフォーディズムへの移行が起き、それに伴って戦後西洋の社会構造が「包摂型社会」から「排除型社会」に移行した、という認識に立つ。例えば、包摂型社会は体制への抵抗者や逸脱者(若者、性的マイノリティ、犯罪者など)を社会に復帰させたり改心させたりするべき対象だと見なしていたが、排除型社会はそうした集団の差違性を多様性の一つとして受容すると同時に、差違を本質化して彼らを社会や市場から構造的に排除するようになったという指摘。
この認識の上で、ヤングは自らの専門である犯罪学の戦後展開を、犯罪学という学問独自の理論的発展だとみなすのではなく、特定の社会的文脈の中に位置づける。つまり、ヤングは戦後の犯罪学・犯罪の変化と社会変容(包摂型社会⇒排除型社会)との共犯関係を描こうとしている。
面白かったのは、多文化主義批判のところ。
多文化主義は、さまざまな文化には歴史的に形成された本質的特徴があるとみなし、世界を互いに異なった保存されるべき文化的本質の集合だと考える。本質という概念に頼ることで、人々は存在論的な安心感を獲得し、自らの責任を免除し、受容できない行為を正当化し、優位性を肯定することができる。ヤングは、流動化・不安定化する社会の中で存在論的不安を抱えるようになった現代人が採用した防御戦略が多文化主義だと論じる。
多文化主義は根本的なところで本質主義だから、逸脱した人々に適用されると徹底的な排除につながる。他者を「本質的に悪」だとみなすことによって、個別の犯罪をその構造的・社会的文脈から引きはがし、犯罪を実行した集団だけに責任を負わせるという状況が発生してしまう。言い換えると、逸脱という「行為」を起こした人物の中心に逸脱的「本質」を措定することで、他者はその行為に至った社会的・経済的背景を捨象された普遍的な悪に仕立て上げられてしまう。
ヤングはこのように他者を悪魔化する現代の傾向に警鐘を鳴らし、現代社会がそうした表象や投影を必要とする理由を、メタな視点から捉えるべきだと論じる。

問われなければならないのは、次の点である。「私たちがそのような投影を、しかも特定の時期に必要とするのはなぜなのか?」「その投影は、どのようにして起こるのか?」「他者を本質化し、非人間化する心理的機制はどのようなものなのか?」もちろん、次の問いも見逃したり忘れたりしてはならない。「怪物とされた人々は、どのような理由から残虐な行為をするようになったのか?」しかし、私はこれらの問いはそれぞれ独立したものではないと考えている。つまり「社会はどのように怪物たちをつくりだすのか」という問いは、これは「私たちは怪物たちの表象をどのようにつくりだすのか」という問いと併せて考察されなければならない。(300)

対象を特定の社会的コンテクストに結び付けて歴史化しようとする試みに共感する。


16日〜18日
中学時代からの友だち4人で1泊2日の日光旅行に行く。
華厳の滝中禅寺湖を見てからホテルに行き、温泉を堪能する。
翌日は日光東照宮を観光し、昼食を食べてから伊勢崎に帰還する。
各自仮眠をとってから再集合し、カラオケや麻雀をしてさらにもう一晩。
真夏の炎天下、車のシガーソケットにi podを接続して流れる音楽のドンシャリっぷりと、窓やうちわからの風と、中身のないおバカな話とが合わさって、ローファイな、かけがえのない車の旅ができた。
中禅寺湖の桟橋の上で横になったのが気持ちよくて、今年が猛暑で良かったと思う。
夏が昔よりも好きになったとふと気付く。
楽しい時間を過ごすと去り際に名残惜しい気がしてしまうが、時間が過ぎていくのは仕方がないことなので、その分一時一時を真摯に、大切に過ごそうと心に留める。


19〜20日
伊勢崎の図書館にこもって読書。
サリンジャー『フラニーとゾーイ』、デリーロ『ボディ・アーティスト』読了。
なぜか実家にあったクリスティの原著版短編集を読み始める。
夜は父母と3人で桃太郎電鉄をして楽しむ。


中旬をエンジョイしまった分、8月下旬はバイトが目白押し。
しかしながら、積ん読状態の本がたまっているので、バシバシ読み進めなければ。


関わってくれた皆様、楽しい夏休みをありがとうございました。