翻訳不能なトリック

クリスティの短編集。
現場に一切行かずに椅子に座って話を聞くだけで事件を解決してしまうミス・マープルものと、ちびでちょびひげの紳士探偵エルキュール・ポワロものを3篇ずつ収録。


トリックだけにこだわらず、読み物として向き合うなら個人的にはマープルの方がポワロよりも好きだ。松岡正剛も書いていることだが、クリスティはポワロの人物像があんまり書けていない。ポワロが神経質かつうぬぼれ屋なのはわかるが、今ひとつ彼のスタイルみたいなものが伝わってこない。もっと言うと、クリスティはポワロをあまり愛していなかったんじゃないか、そんな気もする。
対して、マープルおばあちゃんの方はずっと丁寧に、味のある魅力的な人物として書かれている。トリックやネタがそこまで秀逸でなくても、マープルと周辺人物たちが作り出す空間の、穏やかかつ教養に富んだ雰囲気を追っていくのが気持ちいい。


小学生の頃にマンガ『金田一少年の事件簿』がきっかけでミステリーが好きになり、クリスティの有名な小説にいろいろ手を出した時期があった。
なぜかコナン・ドイルにはいかず、クリスティだった。
「ミステリーの女王」というキャッチフレーズに加えて、『オリエント急行殺人事件』、『アクロイド殺し』、『そして誰もいなくなった』、『カーテン』などの代表作がいずれも大胆なトリックを採用していたので、大仕掛けの仕組みを数多く考え出す作家というイメージがあったのだが、今回のこの短編集はどちらかといえばこぢんまりとしたネタが満載だ。
特に印象に残ったのが、語のダブルミーニングの多用。
以下、ある一話のネタばらし。

a leperには、「らい病患者」とそこから派生した「世間からつまはじきされる者」の二つの意味がある。
あるダメ男が"I am a leper"と言葉を残して自殺した。これを周囲の人々はみな「つまはじき者」という比喩的な意味で解釈したのだが、実はそうではなく、これは文字通り「らい病患者」という意味だった。
ポワロがヘイスティングスに真相を語るシーンの台詞から:

Hastings, there occur often enough words spoken metaphorically which are taken literally. The opposite can happen too. In this case, words which were meant literally were taken metaphorically. Young Bleibner wrote plainly enough: " I am a leper," but nobody realized that he shot himself because he believed that he contracted the dread disease of leprosy(99).

実際には軽い皮膚病にかかっただけだったのに、それをらい病だと嘘の告知をして自殺に至らしめた医者が実は犯人、というオチ。


こういうトリックやネタがこの短編集には結構多いのだが、これは究極的には翻訳不可能なトリックである。日本語はもちろん、中国語でもタガログ語でもドイツ語でも、leperとまったく同じ二つの意味を持つ単語が備わっているといるということはほぼありえないだろう。「彼は『僕はつまはじき者だ』って言ったのではなくて、実は『僕はらい病だ』と言っていたのです」なんて日本語で説明されても、「おおそうだったのか」と感動する人は誰もいない。
こうしたトリックは根本的には特定の言語(この場合は英語)でしか成立せず、その言語圏読者にしか通じないものである。
Walter Benn Michaelsは、言語の翻訳不能性にコミットしようとする欲望と、共同体を記述不能な差異として他から峻別しようとするナショナリズムの欲望が軌を一にしている、と論じた。
クリスティは今でこそ「ミステリーの女王」として世界で広く受容されているが、彼女自身の意識としては、彼女はあくまで英語圏の読者に向けて書く、ナショナルな作家だったのではないか、そんな仮説を立ててみる。
1920年にデビューし戦間期に頭角を表していくクリスティの読者意識・共同体意識と、同時代のイギリスのナショナリズム思想との関連性を調べてみたら面白いかもしれないと思う。