Imperial Guitar

バイト帰りに新宿の楽器屋でギターのストラップを買おうと予定しつつ、宿直バイト中にサイードの『ペンと剣』を読む。

ペンと剣 (ちくま学芸文庫)

ペンと剣 (ちくま学芸文庫)

1978年発表の『オリエンタリズム』でポストコロニアル研究を確立した戦後を代表する知識人サイードが、カジュアルな形で自身の著書や思想やパレスチナを語る、ラジオ番組でのインタビュー集。
刺激的な言葉が至るところにあるのだが、大枠として、文化の政治性を暴いた点はやっぱりとりわけ偉大な発見だったのだろうなと思う。『文化と帝国主義』(1993)に言及する第三章では、近代の帝国を支える土台が芸術や文化や教育といった装置であることを指摘し、芸術が帝国の後を単に追うものではないことを簡潔に述べている。むしろ、芸術・文化の後を帝国が追うのだ、と。

帝国主義についての経済や政治や歴史の文献は大量に存在しますが、それらに共通する大きな欠点のひとつは、文化が帝国の維持のために果たした役割を軽視していることです。コンラッドは、このことについての非凡な証言者です。帝国という観念の根幹を形成しているのは、あながち利潤の追求ばかりではないということを、彼は理解しています。もちろん利益という動機もあるのですが、一九世紀の英仏に代表されるような近代帝国が、それ以前のローマやスペインやアラブのような帝国と一線を画するのは、それが絶え間なく再投資を繰り返す計画的な事業であるという点なのです。彼らのやり方は、単にある国を襲って略奪し、奪うものが尽きたところで撤退するというような単純なものではありません。(95)

と、ここで、バイト明けに寄る予定の楽器屋を以前友人と訪れた時のこんなやりとりが思い出される。展示してあるギターを漫然と眺めていると、楽器屋のお兄ちゃんが営業トークに乗り出してきて、こう言う。
「こちらのギターはアジア製の工場大量生産品なので値段は安めですが、クオリティは価格並み。一方、あちらのギターは日本製で、職人が手をかけて作っていますので少し値段は高くてもコストパフォーマンスは抜群です」。


日本ってアジアじゃなかったんですか、と突っ込まずにはいられないお言葉。それに、「アジア製」って一体どこの国のことなのだろう。「日本製」に込めるブランド性と、「アジア」をひとくくりにして「なんとなく劣位」に位置づける無関心さとの対比、これってまさしく帝国主義ないしオリエンタリズムなんじゃないかしら、と思いを馳せる。そして、この手の勧め方をされたことは一度ならず経験がある。
私たちの心を豊かにしてくれるのが音楽だとするなら、その音楽を奏でるための楽器を売るお店でこのセールストークはやめた方がいいと思う。
買い手も、US製にせよ日本製にせよ「アジア製」にせよ、きちんと試奏して自分の耳で音の善し悪しや好悪を判断していくべきだろう。