出願と私

年末から常に頭のどこかにこびりついていた懸念の出願作業が、ようやく一段楽した。
全12校にアプライし、あとは結果を待つばかり。
一つでも拾ってくれるところがあるといいなあ。
できれば暖かいところ(物理的・心理的両方)キボンヌ。
冬学期の授業も1月末に全て終わり、ここからは年末年始の時間を取り返すべく遊び呆けるぜ!・・・というわけにはいかず、3月の学会発表に向けてさらにがんばります。
たくさん読みたい本がたまっているのだ。
出願用にSample WritingやStatement of Purposeを書いていると、自分がそれまで持っていた知識を整理したり、アウトプットの訓練をしたりする機会には恵まれるのだが、いかんせん肝心のインプットがおろそかになりがちだ。
出願が終わって、やっと本を読む時間がまとまってとれるのはありがたい。


出願プロセスを経て、勉強になったと思うことが2つある。
一つは、英文の斜め読み的な読み方、あるいはスキャンする感じの読み方ができるようになったこと。
出願先大学の不親切なホームページからあちこちのリンク先をたらい回しにさせられ、しかも各ページの情報がかみ合っていないというファンキーな状況に幾度となく遭遇するうちに、一文一文きっちり精読するのではなく、「このへんはだいたいこういうことを言っている」という、段落や項目レベルでのざっくりした読解ができるようになった。
そうやって必要な情報がどこにあるかを見極めてから、該当箇所だけを熟読するようにすれば事務作業の効率はずっといい。
1月末に腕試しのつもりで一年ぶりにTOEICを受験してみたけれども、リーディングに関しては一年間でいくらかマシになったと感じた。もとが低レベルすぎたのはさておき。


2つ目は、ある種のバイタリティーだ。
カタストロフィックなGPAをはじめ、GRETOEFLもスコアが低い自分は、なんだか出願の時点で劣等生感丸出しだった。
本来足きりに引っかかっているにもかかわらずしれっと出願した大学も多々ある。
事務手続きも、さぐりさぐりでどうにかこうにか進めていった。
しかし、それでもとにかく出さなきゃはじまらん。
そして、考えてみれば右も左もわからないけどとにかくぶつかってみるしかない、という状況はこの先長く続くのだ――少なくとも5年間は。
一つ上で現在留学中のすごくデキる先輩ですら、おととい会ったとき「日本人留学生なんて恥かくために行くようなもので、カッコつけて黙っててどうする」と言っていた。
傷つくのをこわがらずに、むしろ先がわからないことを楽しむくらいの気持ちでここから先の時間を過ごしていけたら、と思う。
いや、もちろんこたつでぬくぬく「出られなーい」とか言っていたいし、『Ugly Betty』観たい気持ちも抑えられませんが(笑)。