6.11と私

6.11、震災からちょうど三か月のこの日に、国立市でも2つのアクションがあった。


一つは「多摩ウォークin国立」、もう一つは「語り合おう震災と原発事故〜ティーチイン@一橋大学」。
前者は国立の街をデモ的に歩く行事で、約700人が参加した。
後者は一橋大学で行われた討論会で、学生や教員だけでなく、国立や近隣地域の住民の方がたくさん集い、約350人が参加した。
僕も、後者の方については振替講義があったため途中参加になったけど、なんとか両方とも参加することができた。


ティーチインでは色々な立場の方のお話を聞くことができてどれも刺激的だったけれど、中でも「多摩ウォーク」の主催者の一人でもあるUさんのお話が印象的だった。
「今回のようにデモに参加するのは初めてだった、という方はどれだけいますか?」とUさんが会場に尋ねる。
僕も含め、一見したところ半数近い人が挙手する。
「自分にとってはかつてそうだったのだが、今回の多摩ウォークで初めてデモに参加した方にとっては、かなり新鮮な体験ではなかったでしょうか」とUさんが語り出す。
普段、歩行者は歩道を歩き、車は車道を走る。それが、デモのときには、車道の側から歩道を眺めるという体験をすることになる。その体験の中で、当たり前だと思っていた区分が揺らいで、普段の景色が違って見える。そして、そのとき自分の体が内側から組み替わるような、なんともいえない不思議な感覚を受けるのだ、と。


確かに自分自身も車道を歩いてみて、不思議な感覚を味わったと思う。
それをちょっと言語化してみたい。
歩行者は歩道を、自動車は車道を走る、「当たり前」の話だ。
さらにいうなれば、「その区分が偶発的で恣意的な法によって規定されたものに過ぎない」、ということもまた「当たり前」であり、誰にだってわかっている。
だが、ジジェクが「虚偽だとわかっているのに行なってしまう」のがイデオロギーなのだと論じるように、「歩道⇔車道」の区分はフィクションだと誰にもわかっていながらも、都市の中で「自然」化された境界として機能する。


別に、「道路交通法なんて無視してしまえ」とかアホみたいなことを言いたいわけではない。
だが、デモに参加し、人のうねりの中で車道を歩くとき、「そうか、もともとはどこだって歩いて良かったんだ」とハッとする。
自分がいつの間にか自明視して、「変えられないもの」として自分の認識の中に取りこんでしまった要素、そして自分を構成するようになってしまった要素が騒ぎ出すような気がする。今ある状況は偶発性の上に成っている、と感じる。そして、だから固定化して見える状況だってこれから変えていける、そう思う。


こうした想像力がこれからの社会を考えていく上で特に重要だと思うのは、一つには戦後の原発の推進が「現実を見ろ」というレトリックとともになされてきたからだ。
例えば、9日のカタルーニャ国際賞スピーチで、村上春樹はその点を取り上げている。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html

別に僕はハルキストではないし、このスピーチについてはちょっと民族民族言いすぎじゃないかしら、と思うところもあるけれど、「現実」に追従するだけではない「非現実的な夢想家」の意義や役割には共感する。「現実」として現前しているものを「変えうるもの」として見つめ直すのははたいせつなことだと思う。


バイト明けでそのまま参加してちょっと体力的にはキツめだったけど、行ってみて本当に良かったと思う企画だった。