R奨学金と私

8月に受けたR奨学金面接の結果が今日届いた。
気になる結果は・・・
ジャーンジャラジャラジャラジャラジャラジャラ・・・(やりたいだけ)




合格でした!


励ましてくれたみなさま、どうもありがとうございました。特に、現在イギリスに留学中で、書類の書き方から面接の予想質問に至るまで親切にアドバイスをくれたNさん、どうもありがとう。Facebookの方でもご報告とお礼をさせてもらったけど、ひとえにNさんのおかげだと思ってます。


ただし、ここからまだ大きく2つの問題がある。
一つは、受け入れ先クラブがどこになるかまだわからない、という点。自分の場合だと、アメリカから三つの地域、カナダとオーストラリアからそれぞれ一つの地域を志望留学先として提出したのだが、最終的に受け入れ先がどこになるかはまだわからない。アメリカ文学をやるわけだし、アメリカに受け入れ先が決まってほしいわけだが、それは自分では決められない。


二つ目に、受け入れ先がたとえばイリノイ州に決まったとしたら、イリノイ州の大学から合格をもらわなければならない。これがかなり鬼門。奨学金があるだけでも去年よりは少しは見込みありかもしれないけど、去年の手痛い経験もあるし、少しも気は抜けない。



そして、奨学金の受給はとてもうれしいニュースだけど、ただ単にそれを「やったラッキー」で済ませるのは、ほとんど犯罪的なことだと思う。
以下、自戒のために書いておきたいのだけれど、たとえば、このお金を震災の被災地に送れば復興活動はその分だけ明らかに進展するだろうし、あるいは、財団が力を入れているポリオの撲滅運動についても、僕なんぞの留学費用ではなくて、ダイレクトにナイジェリア、インド、パキスタンアフガニスタンにお金を回せば、それでたくさんの子供の命が助かるだろう。
奨学金をもらうというのは、そういう他の可能性を削って、自分に託してもらうということだ。
だから、「自分のやりたいことをやる」とか、「自分の自己実現のため」ではなくて、自分のやることの公共性や、果たしうる役割をきちんと意識しなくてはいけないのだろうと感じる。
英語面接の中で、「財団があなたにあたえた援助を、あなたはどうやって還元できると思いますか」という質問が最後にきた。
一つは、奨学生に義務付けられている、当地と日本国内での10回以上のスピーチを通じて、もう一つは、将来教員になることができたら、自分の生徒たちに公共性の意義を伝えることを通じて、もらった援助を社会に還元したい、とか大それたことを答えた。


自分は小心者だしとても器の小さい人間だと思うけれど、大それたことや、無理にでも明るい言葉を紡いでいくうちに、いつの間にか、本当に言葉が指す方に自分や世の中が向かっていくかも、などというぬるい希望を抱いて、こういう痛々しいブログを綴る。


P. S.
先日のライブを見に来てくださったみなさま、どうもありがとうございました!このブログを見てくれてそうな人だとholmesさん、耕平さん、Hさん、Tさんでしょうか。異例のお客さんの入りで、自分歴トップ3に入るくらい楽しいライブをさせてもらえました。
といっても、録音した音源を後日聞いたら、一曲目"Spain"の自分の走りっぷりに愕然としましたが 笑。もうね、走る走る。どんだけチキンなんだオレは。チキン・ケンジですね。
ともあれ、本当にありがとうございました。
最後に、こないだやった懐かしの名曲『ロマンティックあげるよ』を。
Bメロの完全に無駄なキメっぷりが笑えて好きです。