7月末〜8月上旬

1)某奨学金の申請書類を書きながら

ライティングの講義を履修しているBritish Councilの先生に無理を言って、一日で英語を添削してもらいつつ、7/31(日)、なんとか無事に某奨学金の申請書類を書きあげ、提出を済ませる。
書類審査の結果が出るのは10月最終週あたりだと思われるが、ゆるやかに希望を持ちつつ結果を待ちたい。

Research ObjectivesもStatement of Purposeも、去年よりは、自分なりに幾分かでも、納得のいくものが書けた。
一年前に書いたものを今年読んだとき、「なんだこの壮絶なゴミは」と驚いたのだが、そのことがとてもうれしい。今からちょうど一年後に、今年書いた書類を見たときに、同じように「なんだこの超絶なゴミは」と思えるようになっていたいと思う。

Personal Statementを書く際には、自分がいままで何を考えて行動してきたのかを振り返り、ある種就活のエントリーシート的に「私の物語」を作り上げることになる。もちろん、別に話を捏造したりでっちあげたりするとかいうことではなくて、どんなに真摯に過去と向き合っても、現在から遡及的に編集される過去は不可避的にフィクションだというような意味で「物語」なわけだが。今までの道程を振り返りながら、自分は何から強く影響を受けてきたのかな、ということを考える。
で、雑誌の特集なんかでありそうな、「人生を変えた三冊」みたいなものをあえてあげるなら、自分にとっての三冊はたぶんこうなるだろうな、と思った。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

The Gold Standard and the Logic of Naturalism (New Historicism: Studies in Cultural Poetics)

The Gold Standard and the Logic of Naturalism (New Historicism: Studies in Cultural Poetics)

三冊中二冊も新書なのはどうなんだとか、小説イッコもねえじゃんという指摘は鮮やかにスルーします。

学部4年、卒業論文を書くときに読んだ阿部謹也は、自分がなんとなく日本社会で感じていた生きづらさのようなものに言葉を与えてくれた。もういい年、21歳になっていたけど、遅まきながら目が開かれるような刺激を受けた。


社会人時代、昼休みの時間も惜しんで読みふけった内田樹は、いわゆる「現代思想」の奥深さを教えてくれた。構造主義の力を借りて、世の中をもう一度自分なりに深く見つめ直してみたい、と思った。多分この本がなければ、だましだまし三年間くらいは会社で働き続けたんじゃないか、という気がする。


Walter Benn Michaelsには、Theodore Dreiserの_Siter Carrie_(1900)の先行研究として出会った。

Sister Carrie (Norton Critical Editions)

Sister Carrie (Norton Critical Editions)

それまで、どこか文学研究をナメていた。「それって、読書感想文と何か違うんですか」的な失礼千万なことを感じてさえいた。
が、目から鱗だった。この人、世界で一番頭がいいんじゃないのか、とさえ思った。この論があるおかげで小説が100倍面白いと思え、さらに小説にとどまらず社会や世界について多くを知ることができると思った。一文一文が刺さった。こういう文学研究なら確かに意味がある、と感じた。
ちなみに、Michaelsへのある種の応答として書かれたAmy Kaplanのデビュー作もたいへん感動的で、この二つがあるおかげで_Sister Carrie_はそのポテンシャルを存分に引き出されている。

The Social Construction of American Realism (Studies in Law and Economics (Paperback))

The Social Construction of American Realism (Studies in Law and Economics (Paperback))

そんなこんなで、自分の過去と向き合いながらの書類書きでありました。



2)Konono N°1 のライブ

8/1(月)、コンゴ共和国出身のアーティストKonono N°1のライブ@渋谷クアトロに、院の先輩たちと遊びに行く。

先輩がtwitterで紹介してくれていて、一聴するなり、行くしかないと思った。
とても楽しいライブで、帰りに足腰がしんどくなるほど、クネクネと楽しく踊ってきた。
久しぶりのライブだったけど、やっぱりいいもんですなあ、と実感。
ワガママをいえば、ハコのせいなのかPAのせいなのか、かなりドンシャリな音響で、エレクトロニカの肝であるはずの中域があまり聞こえず、聞えないパートがいっぱいあった。
しかし、得も言われぬ音階の怪しさ、複雑な腰の動き、深くうねるグルーブにあっさりと吸い込まれてしまった。
ここ数カ月音楽への情熱が冷めているのを感じていたけど、もう一度新規開拓したいと思わせられた。
ゲスト参加していたJuana Molinaみたいなアルゼンチン音響派にも最近興味があるし、近々お茶の水ジャニスでCDを借り漁ってこようと思う。



3)投稿論文
8/4(木)昼過ぎ、徹夜で投稿論文のファーストドラフトを書きあげ、指導教官にお送りする。
〆切が9/1、それまでにネイティブ・チェックも済ませる必要があるので、かなりカツカツながらがんばらねば。
singularityとuniversalityの間の関係性についての考察として、できればバデューを盛り込みたいところ。

Saint Paul: The Foundation of Universalism (Cultural Memory in the Present)

Saint Paul: The Foundation of Universalism (Cultural Memory in the Present)

課題に追われるのは大変だけど、宿題があった方が頑張る子なので、充実した夏季休暇を過ごせるよう励みたいと思います。

Where the River Meets the Sky

「別れと出会いの季節」というと、日本に住む方々はみな「春」のことを思い浮かべるだろうと思う。
それはまあその通りで、3月に卒業式、4月に入学式・入社式を行うのが一般的になっているからだ。

しかし、少し文脈を広げれば、「別れと出会いの季節」は「夏」を意味する場合もある。
そう、外国の大学には9月から開始のところもあるので、留学に旅立つ友人とは、7月〜8月にお別れをしなければならなかったりする場合があるのだ。


大学院の友人が二人、この秋からアメリカに留学に行くことになった。


そのうちの一人K氏の歓送会が24日夜に催された。彼も僕と同様、留学先でPh.Dを取ることを目標にしているので、スムーズにいってもおそらく5年間かかる。小平の寮で一緒に飲んだりできる機会は、おそらく最後だろう。
彼は院生寮の同じフロアの住人で、住んでいる部屋が僕の隣だった。僕と同じく脱サラ組で、農業経済学を専攻し、年に数カ月はアフリカにフィールドワークに行っていた。お酒が好きで、補食室でフロアのみんなとよく飲んだものだった。大阪人らしく、話し上手で、笑いを取るのがうまく、アフリカみやげにはブブゼラを買ってきてしっかりみんなを笑わせた。一緒に自転車でラーメン二郎やうどんやトンカツを食べに出かけたこともある。朝から夜遅くまで研究室にこもって勉強していて、帰宅後にカラスの行水としかいいようのない速さでシャワーを浴びて出てくる様がなぜか好きだった。勉強が本職の院生の中でも、かなりストイックに研究に専念していたと思う。でも、あんまり彼が不平や不満を周囲に漏らすのを聞いたことはなく、補食室でみんなで話すときにはいつもニコニコしていて、周りに気を適度に使いつつ、しかし自分の芯はきっちり一本通すような、そんな接し方をする人だった。社会観や人生観についていつも意見や考え方が一致したわけではないけど、考え方が違ってもそれを考え方の違い以上の問題に広げたりはせず、それをもって人を好いたり嫌ったりしない、度量のある人だった。
昨晩の歓送会では明け方5時過ぎまで寮の仲間たちで飲んでいた。歓送会がお開きになったあと、日もだいぶ昇った早朝の澄んだ空気の中、彼は大きなバックパックを背負って、金色の日差しの中に旅立っていった。最後はやっぱりいつもの明るい笑顔だった。



アメリカ留学に行くもう一人の友人は大学院のゼミが一緒のY氏。
先週、彼と履修がかぶっている主ゼミとサブゼミの両方で、一緒に夏学期最後の発表を担当したところだ。
彼は僕からするとなんとも不思議な人だった。ボーッとしているかのように見えてポイントを鋭く抑えていて、マイペースなようでいてすごく人に気を使ってくれて、損得とかあんまり考えない人なのかと思わせて上手に手を抜こうとしていたり。
僕みたいなええかっこしいで見栄っ張りな人間とは違って、肩の力が抜けたゆるい感じが魅力的で、そのゆるさが、僕にはない彼の柔軟な知的パフォーマンスにつながっているのだろう、としばしば思った。
彼が修士二年になったばかりの4月、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論の解題と考察を担当してくれたのだけれど、そこで彼が見せたのは、アイデンティティ概念を巡る現代政治批評のアポリアの一つを的確に図式化・指摘した、卓抜した洞察だったと思う。
また、明らかに僕にはできない類の小説の読み方ができる人だとも思うのだが、それは小説世界に降り立って、特定の人物の視点と自分の視点を重ねないと気づかない点を指摘するような、妖艶な読みだった。例えばナボコフの『ロリータ』(1955)の読解では、エンディングの一騒動を取り上げ代名詞の戯れを丁寧に読み解き、ハッとさせるような小説解釈を提示していた。
そんな感性の鋭い彼でありながら、特に一緒に博士に進学してからは、日々の雑感を始め、お互いふだん考えていることをとりとめもなく話し合い、さらに僕のつまんないモノマネでもよく笑ってくれる、大切な友人だった。



外国に旅立つ二人を見送るにあたり、ふと想起したのは、昔中学だったか高校の教科書で読んだ李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という詩だ。
すごく好きだったので、読み方はそらで覚えてしまった。

故人西辞黄鶴楼     
煙花三月下揚洲     
孤帆遠影碧空尽     
唯見長江天際流

〈読み〉     
故人(コジン) 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花(エンカ)三月 揚洲(ヨウシュウ)に下る
孤帆(コハン)の遠影 碧空(ヘキクウ)に尽き
唯だ見る 長江の天際(テンサイ)に流るるを

〈大意〉
昔なじみの友人が 西の方にある黄鶴楼というところをやめて
花の香りがけぶる三月に 揚州というところに下っていきます
一隻しかない船の遠い影が 青空のなかへ消えてゆき
私はただ、長江が空の果てへと流れているのを見るのです

「唯見」の主体は(書いてないけど)「私」、すなわち李白だろう。
最終行、「私」は長江が天際に流れていく様をどんな気持ちで見ているのだろうか。
視界から途切れるほどはるか彼方に行ってしまった友人にもう会えないという寂寥感だろうか。

実は、僕はあんまりそうは思っていない。
「唯見」の主体が李白であり、タイトルでも「送る」側が李白であるように、この詩は、李白が孟浩然のためにではなく、むしろ自分自身のために描いた詩なのだろう。
「長江」が「天際」に「流」れていく。川と空の果てが交わるこの壮大すぎるイメージは、見送る「こちら側」と旅立っていった「あちら側」を永遠に隔てる境界なのではなくて、むしろ両者を包み込む全体性の立ち現れなのではないか。


今までのように同じ教室で学んだり、生活空間を共有したりすることはもうできないのかもしれない。
だけど、研究を志す者同士、僕たちがそれぞれほんのわずかでも知を生みだすことができたら、見えなくても僕らはつながっていることになるかもしれない。
そんな、あまりに中二病的な解釈を、僕自身に送る。

メタァー。

たまには本職のお話でも。

自分は30年代アメリカ文学マルクス主義批評と新歴史主義の方法論を参照しつつ研究している。
ざっくりいうと、ある作品なり作家の美学は社会から独立して存在するのではなく、むしろ根本的なレベルで歴史的諸条件に規定されている、という想定のもとで、小説とそれが書かれた同時代の社会状況の間にどんな関係性があるのか、あるいはその裏側にどんな欲望や願望が隠されているのかを考えたりしている。


最近方法論的にちょっと行き詰まりを感じていたので、状況を打開すべく積ん読本だったHayden Whiteの_Metahistory_(1973)に手を出す。

Metahistory: The Historical Imagination in Nineteenth-Century Europe

Metahistory: The Historical Imagination in Nineteenth-Century Europe

まだイントロの途中だしまとまったコメントはできないが、かなり刺激的だ。
ホワイトは、歴史や歴史哲学を描いた19世紀の古典的著作――歴史家ではMichelet, Ranke, Tocqueville, Burckhardt、哲学者ではHegel,Marx, Nietzsche, Croce――をフォルマリスト的手法で解釈することを提案する。
すなわち、内容(content)のレベルでデータが正確かどうかではなく、彼らの語りが持っている詩的な力こそが彼らを天才たらしめている要素なので、彼らの語り方の形式(form)をこそ検証しなきゃダメなのよ、というわけだ。

In the consideration of such thinkers, I will moot the issue of which represents the most correct approach to historical study. Their status as possible models of historical representation or conceptualization does not depend upon the nature of the "data" they used to support their generalizations or the theories they invoked to explain them; it depends rather upon the consistency, coherence, and illuminative power of their respective visions of the hitorical field. This is why they cannot be "refuted," or their generalizations "disconfirmed," either by appeal to new data that might be turned up in subsequent research or by the elaboration of a new theory for interpreting the sets of events that comprise their objects of representation and analysis. Their status as models of historical narration and conceptualization depends, ultimately, on the preconceptual and specifically poetic nature of their perspectives on history and its processes (4).
[拙訳]
こうした思想家たちについて熟慮するにあたり、私は歴史研究にとってもっとも正確なアプローチをだれが代表しているか、という論点を実質的に無意味なものとする。歴史の表象や概念化について彼らがモデルたりうるのは、彼らがその一般化を支持するべく用いた「データ」の性質や、あるいはそれらの説明のためにもってくる理論のゆえではない。むしろ、彼らの地位は、歴史分野に関する彼らめいめいのヴィジョンがもつ、一貫性、整合性、そして啓発的な力に拠っている。このことこそが、後続の研究に現れる新しいデータへのアピールや、あるいは出来事を解釈する新しい理論の練り上げによっても彼らが「論駁」されえず、彼らの一般化が「反証」されえない理由なのだ。歴史語りや概念化のモデルとしての彼らの地位は、究極的には、歴史やその過程に関して彼らの展望がもつ、前概念的かつ際立って詩的な性質によっているのである。

アツイね!
順調にいけば7月中にはイントロを読み終わるはずなので、またおいおいイントロ全体の紹介ができればと思う。



最近ふと思うのだが、今まで生きてきた中で今が一番充実している。
サークル活動に没頭していた学部生時代よりも、ヒリヒリとした充実感があり、日々の躍動がある。
新しい人、もの、こととの出会いが頻繁にあり、もっと多くを知りたい、と思う。
一日でも長く生きたいと思う。
そしてそれはとても恵まれていることだと思う。

23歳で会社を辞めて院に進学する決断をしたときには、止める人もいたし、副支店長に「勝算はあるのか」と問われて、自分自身即答することはできなかった。

でも、自分の中に後悔しない自信だけはあった。


ターミネーター2』のセリフみたいでアレだけど、自分の人生の納得度は自分で切り開くものだと思う。
むろん、どこまでも周囲の人に助けられながら、なのだけれど。

6.11と私

6.11、震災からちょうど三か月のこの日に、国立市でも2つのアクションがあった。


一つは「多摩ウォークin国立」、もう一つは「語り合おう震災と原発事故〜ティーチイン@一橋大学」。
前者は国立の街をデモ的に歩く行事で、約700人が参加した。
後者は一橋大学で行われた討論会で、学生や教員だけでなく、国立や近隣地域の住民の方がたくさん集い、約350人が参加した。
僕も、後者の方については振替講義があったため途中参加になったけど、なんとか両方とも参加することができた。


ティーチインでは色々な立場の方のお話を聞くことができてどれも刺激的だったけれど、中でも「多摩ウォーク」の主催者の一人でもあるUさんのお話が印象的だった。
「今回のようにデモに参加するのは初めてだった、という方はどれだけいますか?」とUさんが会場に尋ねる。
僕も含め、一見したところ半数近い人が挙手する。
「自分にとってはかつてそうだったのだが、今回の多摩ウォークで初めてデモに参加した方にとっては、かなり新鮮な体験ではなかったでしょうか」とUさんが語り出す。
普段、歩行者は歩道を歩き、車は車道を走る。それが、デモのときには、車道の側から歩道を眺めるという体験をすることになる。その体験の中で、当たり前だと思っていた区分が揺らいで、普段の景色が違って見える。そして、そのとき自分の体が内側から組み替わるような、なんともいえない不思議な感覚を受けるのだ、と。


確かに自分自身も車道を歩いてみて、不思議な感覚を味わったと思う。
それをちょっと言語化してみたい。
歩行者は歩道を、自動車は車道を走る、「当たり前」の話だ。
さらにいうなれば、「その区分が偶発的で恣意的な法によって規定されたものに過ぎない」、ということもまた「当たり前」であり、誰にだってわかっている。
だが、ジジェクが「虚偽だとわかっているのに行なってしまう」のがイデオロギーなのだと論じるように、「歩道⇔車道」の区分はフィクションだと誰にもわかっていながらも、都市の中で「自然」化された境界として機能する。


別に、「道路交通法なんて無視してしまえ」とかアホみたいなことを言いたいわけではない。
だが、デモに参加し、人のうねりの中で車道を歩くとき、「そうか、もともとはどこだって歩いて良かったんだ」とハッとする。
自分がいつの間にか自明視して、「変えられないもの」として自分の認識の中に取りこんでしまった要素、そして自分を構成するようになってしまった要素が騒ぎ出すような気がする。今ある状況は偶発性の上に成っている、と感じる。そして、だから固定化して見える状況だってこれから変えていける、そう思う。


こうした想像力がこれからの社会を考えていく上で特に重要だと思うのは、一つには戦後の原発の推進が「現実を見ろ」というレトリックとともになされてきたからだ。
例えば、9日のカタルーニャ国際賞スピーチで、村上春樹はその点を取り上げている。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html

別に僕はハルキストではないし、このスピーチについてはちょっと民族民族言いすぎじゃないかしら、と思うところもあるけれど、「現実」に追従するだけではない「非現実的な夢想家」の意義や役割には共感する。「現実」として現前しているものを「変えうるもの」として見つめ直すのははたいせつなことだと思う。


バイト明けでそのまま参加してちょっと体力的にはキツめだったけど、行ってみて本当に良かったと思う企画だった。

Academic Presentation Passes off Safely.

5/28(土)、ここ数か月間常に頭の片隅にあった懸案の学会発表@三田が終了した。
会場にお越しくださる方がそれほど多くないことに9割ホッとし1割ションボリするが、ションボリのほうについては雨のせいさ、と言い聞かせて臨む。
(お足もとの悪い中ご足労くださったみなさま、ありがとうございました!)


もともとは3月に予定されていた発表が震災の影響で5月まで伸びたため、お世話をしてくださる先生に第四稿まで目を通していただき、推敲をかなり重ねられた。
第四稿の脱稿後に第一稿を読み返したとき、論文なり原稿ってリヴァイズすればするほど良くなるのって本当だなと痛感する。ファースト・ドラフトを出しちゃだめっていうのは圧倒的に正しい。


今回の発表では、基本的には修士論文の内容を拡張・発展させた議論を報告したわけだが、その拡張した部分の中で、ほんの少しだけ、自分なりの読みが提示できた気がして、それが何より嬉しくまた手ごたえのあることだったりする。
ごく微かにだけど、自分はこういう論文が書きたい/発表がしたいという方向性を感じられた気がする。
先生方からいただいた質問も素敵なものばかりで、議論の至らないところや、これから発展のさせようがある点を多々ご指摘いただいた。これらを反映して、9/1締切の学会誌に論文を投稿できたらいいなと思っている。



関係ないけど、前回に続き剣道の動画を一つ。

例によって宮崎選手の、今回は芸術的小手動画集です。
一本目(00:15のスローモーション)の小手がすでにスゴイ。
「相手の左方手突きをかわし、相手が竹刀を握りなおした瞬間に小手」なんて、どんな道場に行ったって練習では絶対にやらない。
打突の機会が見えた瞬間に条件反射的に体が動くようにできてないと無理だと思う。ああ、プロフェッショナル。


自分も曲がりなりにも専門職の道を選んだのだから、負けずにがんばりたい、とむりやり話をつなげる。


・・・はい、というわけであと二日しかないロータリーとフルブライトの出願がんばります・・・。

Let's Move!

完全にどうでもいい与太話を。


5月20日金曜日、朝のんびりと起きて、パソコンに向かい、さて4限のライティングの授業の宿題でも書きますかな、と思って伸びをする。
フルパワーで右側に上半身を傾けたとき、首筋に激痛が走る。ズビィィーンっていう感じだった。
僕はアイヤイヤーと思った。


びっくりしたことに、左が向けない。首が回せないのだ。さらに、首を左に倒すこともできない。あまつさえ、上も向けない。無理をするとピシィィィーンッと痛みがほとばしる。右と下だけが向けるというスーサイダルなことになってしまった。
これでは危なくて自転車も乗れない。仕方がないので、4限はお休みをいただくことにして、一日横になって首を休める。しかし、横になるのにもテクがいる。エライことだ。
さすがに何も食べないわけにもいかないので、夜8時ごろ、寮のすぐ近所の定食屋さんに行ってキムチ焼肉定食630円をいただくが、首は常に右に傾いでいるし、何やら上目づかいだし、かなりアブナイ客だと思われただろうことは否めない。
寮の知人に湿布をいただいて休み、やっとこさ二日後の今日にはなんとか大学にも勉強にくることができた。しかし、まいりましたよホント。


やっぱり運動をしなさすぎなんだなあと反省。それなのにたまに無理して徹夜しちゃったりするし、ちょっとガタがきていたのかしら。
毎週この日は必ず走るとか、如スポに行くとか、ルーチンの中に運動を組み込まないとだなあ。
首が完治したらドンキでバスケボールでも買ってこようかしらむ。
それか寮の仲間たちでバドミントンだな。
結局研究も体力勝負みたいなところはありますよね。


スポーツといえば、僕は小2〜中3までの8年間剣道をやっていた。
スポーツっていうより武道にカテゴライズされることが多いし、土日にちょっとヒマができたからやろうかっていう話の展開にはなかなかなりにくいのが剣道の難しいところだけど、それでもやっぱりステキだと思う。
先日久しぶりに試合の動画を見たらものっそい血湧き肉躍った。


全日本剣道選手権大会で前人未到の優勝6回を飾った怪物・宮崎正裕選手の決勝戦のハイライトなんだけど、一本目の出鼻面がとにかく鮮やか。完全に相手を制している。飛ぶ前からすでに打った手ごたえがあっただろうなと思う。

あと、↓はかっこいい一本集です。
45秒の突きと、1:00の逆胴はなかなかお目にかかれない名技だと思います。よかったらぜひ。

あなたもだんだん運動がしたくなってきましたね!?
Let's refresh ourselves!

It's My Fault/ May the Graduate School Dormitory Be ...

早いもので、4月ももう終わろうとしている。
震災や原発の展開を巡って日本社会が歴史的な変動を経験しつつある中、個人まわりでもいくつか動きがあった。


まず、大学院留学の受験におそらく失敗した。
12校出願したが、今のところ10の"denial"を受けている。
まだ2校あるにはあるが、望みは薄いと思われる。
正直にいって、かなりくやしいし、ふがいない気持ちになる。
合格が取れなかったという結果だけではない。受験料に加えて、スコア送付の費用も入れたら全部で10万円以上のお金をドブに捨てた計算になる。また、忙しい中、時間を削って12校分の推薦状を書いてくれた3人の先生方にもたいへん申し訳ない。
しかし、これもすべては自分の努力不足や怠慢の結果であり、決して運のせいにしてはいけないと思う。
くやしい気持ちがモチベーションを高めてくれるなら、むしろ望むところだ。
気持ちを切り替えて、来年度の出願に必要な改善点を今から考え、きちんと逆算して計画を立てよう。結局、計画性のなさが最大の敗因なのだ。


1)奨学金の獲得
指導教官の一人O先生いわく、アメリカも不景気だし、奨学金を獲得していて学費支払いの保証を持っている学生でないととりづらい、という側面もあるらしい。TAやRAをできる見込みも低いし、やっぱり国内で奨学金を取るのが一番だ。
去年はフルブライトには落ちたわけだが、そもそもフルブライトしか出さなかったのも大きな誤りだ。
というわけなので、今年は出せるものは片っ端から出す。
①ロータリー (締切5/31)
フルブライト (5/31)
③所属大学の留学支援制度(6/13〜6/17)
④伊藤国際教育交流財団(6月下旬〜8月下旬)
⑤吉田育英会派遣留学生(9月上旬〜10月上旬)
⑥JASSOの長期留学支援制度(大学を通じて申請、11月中旬〜)
⑦Asia Pacific Leadership Program (12/1)
⑧本庄国際財団(2012/04/31)
がんばって、必ず獲得するのだ。


2)各種試験のスコアアップ
学部生時代の悲劇的なGPAを克服しようと思ったら、とりあえずTOEFLGREのスコアを上げるのがよいだろう。
TOEFLは、とりあえず100とらなきゃはじまらん。
まず、リスニングをどうにかしよう。
今のスコアは92だが、その回のリスニングは20しかなかったので、リスニングが8点上がればそれで100だ。
わからない音声をスクリプトで確認して、聞き取れない文章を一つでも多く減らす。
GREは、トータルで1300点をひとまずの目標とする。
VERVALは、550点はほしい。
Analytical Writingも、4.5くらいはなんとか。


3)研究内容のブラッシュアップ
1の奨学金を申請するには当然研究計画が必要なので、それを推敲しがてら、自分の研究の位置づけを明瞭にする。
申請書類を書くことには、そういうメリットもあるんだよなあ。



受験のお話は以上。
次は、半年間悩まされた副寮長のお仕事からついに解放されたお話。
寮移転の議題をはじめ、この半年間はかなりの時間を寮自治の仕事に費やした。
正直、怒ったり悲しんだり嫌な気持ちになったことも多々あったし、引き受けなきゃよかったと思うこともあった。
しかしながら、半年間を振り返ってみると、実に多くのことを学ばせてもらったと感じる。
仕事の割り振り方、議論の進め方、文章の書き方など、たくさんのことを勉強できた。
てきぱき仕事をこなす別の副寮長や、ものの考え方の上手なさらに別の副寮長と一緒に仕事をできて、自分のイケてないところをたくさん実感できた。
自分のものぐさなところがちょっぴり直せた気がする。
担当していた班を自分はあまりうまくリードできなかったと思うのだけれど、終わりに温かい言葉をかけてくれる班の仲間もいて、うれしかった。
「仕事」という概念それ自体について、少し考えを深められたような気さえする。
この半年間で学ばせてもらったことは、きっと今後の研究や考え方にもどこかでつながってくる、いまそんな風に強く感じている。
院生寮が、単なる廉価な居住施設であることを超えて、これからも豊かな学びの場であることを切に願う。